パネルディスカッション

パネラー:長谷川 閑史氏
参加学生:田中 徳裕(Facilitator)、石原 真由、福井 宏佳(以上 M!1)
      政本 浩幸、柳川 洋晟(以上 B4)

田中 徳裕

田中「こんにちは。今回司会をさせていただく田中徳裕です。本日は、よろしくお願い致します。早速、質問をさせていただきたいと思います。まず、私たちを取り巻くパラダイムシフトですが、このパラダイムシフトに対して私たちはどのように向き合っていけばいいでしょうか?」

長谷川さん「それは、まず自分たちで考えることが大切。それから、一番いい方法は、日本の中だけに目を限定しないこと。パラダイムシフトが起きている最先端の現場に自分で飛び込んで肌身感覚で感じとるというのが大切です。」

田中「ありがとうございます。次に政本さんどうでしょうか?」

政本「AI(人工知能)に関して、悲観論、楽観論、中立論というそれぞれの考えがありますが、長谷川さんはどのようにお考えですか?」

長谷川 閑史さん

長谷川さん「これはまだ起こっていないことだからわからない。新しいテクノロジーが、新しい仕事の創生に繋がると言われている。だから、そういった点においてはあまり心配する必要はないと思います。新たに現れた仕事に対して、新たに社会に出ていく人がチャレンジするのは何とかなるかもしれない。実際に仕事について10年や20年たった人たちの仕事が置き換えられてしまったらどのように仕事を維持するかが難しい。そこはまだ答えはない。だから、悲観論と楽観論のどちらかに決めつけるのは早計かなと思う。」

田中「ありがとうございます。次に石原さんどうでしょうか?」

石原 真由

石原「パラダイムシフトの中で必要とされる素養というのは変わっていくと思いますが、具体的に世界で活躍するためにはどのような能力が必要なのかと、将来的に日本人が活躍できるために行っている人材育成の方法などがありましたら教えていただきたいなと思います。」

長谷川さん「日本の教育システムの弱点として、与えられた問題を解く、あるいは設問に対する答えを最速で見つけ出す、そういった能力には結構長けているかもしれないが、問題を与えられるのではなく、状況を観察してそこから問題点を見つけ出し、解決に導く方法を見つけ出して実行に移す、こういうことが出来る能力が、ベーシックな部分で言えば、世界に通用するためには必要。例えば、人口増加によって生ずる問題など、今見えている問題に対してどういう答えを自分なりに考えだし、どう貢献できるか考えることは無駄ではないし、一つのやり方であると思う。」

田中「ありがとうございます。今度は学生時代のことや人生観についてお聞きしていきたいと思います。柳川さんどうでしょうか?」

柳川 洋晟

柳川「これからどうなるのかという不安があります。長谷川さんが学生時代に思い描いていた将来像と現状でどのような差異があるのかお教えください。」

長谷川さん「前にスタンフォードで講演をした時に、どのようにしたらCEOになれるのかと質問されたことがある。その時に、そんなフォーマットがあるならば誰でもするだろう、そしたらみんな同じスタートから行うので全く意味のない質問であるよと答えた。柳川さんの質問に戻るが、私が大学を卒業したのは1970年です。半世紀も前と今とで皆さんの参考になれるようなそういう答えは出せません。時間の流れ方も違っていたし、ちょうど日本は、高度成長の真っ盛りだった。そういう時代に育つと、明日は今日よりも豊かであると、企業というものは成長するものだと、物価も毎年上がるものだと、そういうのが当たり前であった時代に育った人間が、そんなに将来を深刻に考えない。しかも、私は1966年に入学しましたから、試験を受けたときは機動隊に守られて、正門はロックアウトされており、細い道から入って試験を受けた。4月に大学の入学式もなければ、学校が始まっている時期になっても授業は始まらなくて、5月の半ばころから授業が始まった。姉と一緒に下宿していたため、姉に勧められたバイトが本業となり、あいつは留年するとか言われていた。このように時代の背景も違うし、みんなが明日は今日よりも豊かになると、そう思っていた時代に描いていたことを、いくら言ってもあなたたちの参考にはならないと思う。ただ、一つだけ言えるのは、授業がないときに本をしっかり読んだ。乱読と言われるくらい、いろんなあらゆる本を読みました。そういうことが少しは役に立った。だから、自分たちが何を目標にしたらいいかというのは自分たちが置かれている環境と現実を見て、考えるしかない。」

田中「ありがとうございます。次に人生観についてお聞きしたいと思います。福井さんどうですか?」

福井 宏佳

福井「長谷川さんが、今振り返った時にこれをやっておけばよかったということが何かあればお伺いしたいです。」

長谷川さん「いくつかありますが、もう少し勉強しておいたらよかったなというのと、それから本当は運動部に入りたかったが、入れなかったので、もう一度やり直せるのであったら、大学でも運動部に入って仲間を作るということをやりたいなと思います。ちなみにもう一つ言い忘れましたが、入学は第一次早稲田紛争時で、卒業は第二次早稲田紛争時でしたので、入学式もなければ卒業式もない。そういう特殊な時代に学校に来ましたから、前総長の白井さんからは、あんたたちの世代が一番勉強していない世代だと言われている。それでも通用した私はいい見本で、いい社会であると思っています。」

田中「ありがとうございます。柳川さんどうですか?」

柳川「自分には行動の軸になるようなものがなくて、長谷川さんご自身に座右の銘などがあればお伺いしたいと思います。」

長谷川さん「推薦図書のセブンマスターズを是非お読みになることをお勧めします。できれば瞑想をおやりになることをお勧めします。瞑想をやるということは、自分との対話です。だいたい瞑想をやっていると自然に考え付くのは、自分はやっぱりどんな人生を送りたいであるとか、自分の生きる目的って何だろうかとか、紆余曲折あってもたどり着くものであると思います。そのうえで、私の経験から言うと、多くの人が、自分の職業や行動を通じて人の役に立ちたい、あるいは社会をいいものにしたいと思うようにできているのではないかと思う。そこは自分で確立をすれば、どんなことが与えられてもチャレンジしても、軸はぶれないと思う。例えば会社の経営者として、部下を昇進させるときに見るのは、業績、実績を上げた人が大事ではあるが、もっと大事なのは価値観が確立をしていて、ぶれない人。ぶれる人は状況によって臨機応変に変わるという見方もあるが、肝心のところで、経営者としてはまずい判断をする可能性がある。一つの例として、私が経営企画部長をしていた時に、医薬非関連事業を売却するという交渉をやっていた。某化学品会社と交渉が大詰めに来た時に、その製品を生産している工場から問題が生じた。どうするかとなった時に、周りは混乱していた。私はその時に問題を隠さず、先方にそれを伝えて、そのうえでまだ処理方法は確立していませんが、処理方法が確立した段階で私どもが責任をもって対処させて頂きますから、それでご了解いただけませんかと話をした経験がある。そういうことの一つ一つです。だから、単純に言えば正直に生きるということだと思いますよ」

田中「ありがとうございます。次に政本さん何かありますか?」

政本 浩幸

政本「今まで多くの方のご講演を聞く機会を頂きましたが、中々失敗談を聞く機会というのはありませんでしたので、もし宜しければお聞かせください。」

長谷川さん「失敗談はいっぱいありますよ。いっぱいあるが、結論から先に言うと失敗を認めて、ダメージを最小限にするように一生懸命にやる。これしかない。入社して2年目くらいに私は工場の勤労課というところにいた。500人くらいの従業員がいる工場で、ボーナスの査定結果に基づいて個人の計算をしていく。それに対して本社から予算が来る。予算の連絡が電話で来るのですが書き間違えて、かなりの金額を多めに配布してしまった。本社の方に連絡して、正直に話し何とかしてもらいました。また、一番の冷や汗をかいた失敗は、私がアメリカの現地法人のジョイントベンチャー、アメリカのパートナーと50:50のジョイントベンチャーだったんですけど、そこの副社長をしていて、社長はポーランド人の2 mくらいあるハイパーアクティブな男だった。しかし、残念なことにアル中でした。ナショナルセールスミーティングなんかでも酔っていたりして、問題が何回もあったため、私は手に負えなくなって、パートナーの親会社の人事部長に相談をした。そのあと、その本人の車に乗せてもらって、親会社の方に向かっている途中に人事部長から電話がかかってきて、こないだの話と言ってきた。当時は今の携帯ではなくカーフォンで、そのパートナーの本人が取って、人事部長から電話だけど、お前はいったい俺の会社の人事部長に何の用があるのだと。とりあえず、後で電話すると切った時にしつこく聞かれたから、全部言いました。お前が、あまりにも手に負えないので相談しに行ったのだと。そう言ったら、本人もムッとはしたけど、それで終わってしまいましたけどね。だけど予想もしない二つの例は、数多くあることの例ですが、そういうことは起きますよ。やはり常に真正面から向き合って、ごまかしたり隠したりしないで、ベストの選択をしていったほうが良い。そうじゃないと後悔する。後悔しない方がいいと思いますよ。皆さんにはそれぞれやり方があると思いますからこういうのも参考にしながら、適宜対応してください。」

田中「ありがとうございます。最後に早稲田の学生に向けて何かメッセージがありましたらよろしくお願い致します。」

長谷川さん「自分が4年間身を置いて感じたのは、結構自立していていろんなことにチャレンジする人が多いように感じます。どこに行っても稲門会というのはある。あと三田会も。どこ行っても三田会とゴルフやソフトボールをしたりする。早稲田は大体負ける。というのは数はいるのに来ない。あまり協力もしない。では学校を嫌っているかというと、そうではなくてそれなりの誇りは持っている。私は、それは決して悪いことではないと思っています。見方を変えれば、別にそういうところでみんな集まってやることを否定はしないけれど、他に予定があれば自分がやりたいことをやって、ただ誰かが本当に困っているときは、ずいぶん私も助けられましたが、助けてくれる。そういうやり方の方がいいのかなというのが一つ。もう一つは、私が学生時代、社会人生活を始めた時よりもはるかに世界は狭くなりグローバル化は進み、日本は自国だけではリソースは人材だけしかない国だから、海外とビジネスをやらないと生きていけないと、あるいは豊かさを維持していけないというのは間違いはないので、そういった意味で皆さんは全員が飛び出せと言っているわけではないですが、ある程度チャレンジ精神と冒険心がある人は、世界で是非飛躍して頂きたいなというのが一先輩からのメッセージです。」

田中「本日は長谷川さんありがとうございました。」

(文責:交流委員会)

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第9回早桜会講演会の報告

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岡野支部長の講演者紹介

  第9回早桜会講演会は9月9日(土)、講師に岐阜大学名誉教授 木内一壽先生をお迎えし、開催いたしました。木内先生は平田研究室にて「活性汚泥法による廃水処理」についてご研究される中で、酵素を中心とする生化学の研究に進まれたのち、神経化学分野で長年に渡りご研究をされています。今回は、“ヒト脳の特性”と題し、神経細胞や脳に関する基本的な知識から、脳機能の解明に至るまで幅広くご講演いただきました。

 

   皆さまは脳の存在を意識して過ごされていますか?日本人にとって脳を身近に感じる機会は滅多にありませんが、アメリカではなんと小学校教育の中で、神経信号の伝搬の仕方や、前頭葉の機能など“brain power 脳力”に関する授業が行われているそうです。

  人間は他の動物よりも脳が非常に発達していますが、チンパンジーと我々ホモ・サピエンスの遺伝子はわずか1.23%しか変わらないと言われています。霊長類の進化とともに、脳は非常に大きく進化し、20万年前からホモ・サピエンスは約1350mLサイズの脳を持っていると解説いただきました。

  ではヒトの脳はなぜここまで成長しているか、それは他の動物よりも未熟な状態で生まれてくるからこそ、学習することで脳を鍛え、成長できるのだそうです。人間の脳は遺伝子の影響50%、外部環境の影響50%で決まり、脳のネットワーク形成が人類の進化の始まりにつながっていると解説いただきました。さらに大脳皮質前頭葉の働きが人間の脳の発達につながっていると述べられました。

  最後に、脳神経細胞に関する最新の研究動向もご紹介いただきました。f MRIによる脳の位置ごとの機能の解明、脳内の信号のやりとりの可視化など大変刺激的な内容でした。

  “研究は気力、体力、知力だ”という木内先生の研究スタイルを象徴するような大変広く深い内容で、質疑の時間が予定をオーバーするなど参加者一同、探究心を刺激されるご講演でした。

 

  講演終了後は、集合写真を撮り、特別食堂での懇親会に移りました。初めてご参加の方、お久しぶりの方のスピーチを挟み、大変賑やかな会となりました。筋肉と同じように脳も鍛え続けるべし、との木内先生のお言葉を持ち、大盛況の中閉会いたしました。

(文責 桜井)

 

 

出席者:

木内一壽(新24回)、津田實(新7回)、井上征四郎(新12回)、市橋宏(新17回)、田中航次(新17回)、岡野泰則(新33回)、和田昭英(新34回)、原敬(新36回)、中野哲也(新37回)、柘植知彦(新41回)、髙島圭介(新48回)、數田昭典(新51回)、陳鴻(新59回)、桜井沙織(新64回)、御手洗健太(新65回)

応用化学科創立百周年記念展示

「江戸後期 知の探究者たちが切り拓いた世界」
2017年10月5日より11月9日まで
10:00~18:00
早稲田大学総合学術情報センター2F

応用化学科の創立100周年を記念して題記記念展示が開催されます。会場は早稲田大学総合学術情報センター(早稲田大学中央図書館の建物)の2階展示室です。
江戸末期の貴重な文物が展示されます。
特に宇田川榕菴は江戸末期(1798 – 1846)の蘭学者で、今日我々が使っている基本的な化学用語を翻訳し、日本に定着させた人です。
その宇田川榕菴の主要著作である舎密開宗』(せいみかいそう)も展示されます。
またシーボルトから榕菴に贈られた顕微鏡なども展示される予定です。
江戸末期には本草学をはじめ多くの自然科学者たちが知のネットワークを作って活躍しました。
日本の化学も、そうした知の探求者たちによって基礎が作られました。
我々の学問のルーツを是非この機会に訪ねてみましょう。

 

応用化学科の創立100周年につきましては、いろいろな催しや行事が企画されています。10月7日(土)には記念祝賀会も開催されます。下のLinkの応用化学科のHPにて詳細をご参照の上、本記念事業への積極的なご参加をお願いいたします。

応用化学科創立100周年記念事業ご案内

豊倉賢名誉教授 瑞宝小綬章 叙勲

2017年4月29日、豊倉賢名誉教授は、瑞宝小綬章を叙勲され、5月11日に、伝達式が行われた。

豊倉名誉教授ごあいさつ

先生のご功績は、工業装置内晶析現象で新しく考案した無次元結晶粒径・溶液過飽和度を用いて所望結晶製品を工業規模で生産出来る晶析装置・操作の設計理論を世界に先駆けて確立したことに加え、工業晶析装置内の2次核発生や結晶精製の新現象も発表して製品結晶品質向上や生産コスト削減を容易にし、世界の晶析研究・結晶生産工業の発展に貢献した点にある。

豊倉名誉教授に、ご薫陶を受けたOBが、2017年7月29日(土)リーガロイヤル東京 サファイアに参集し、盛大な祝賀会を実施した。海外から、マルティンルター大学 ヨアヒムウーリッヒ教授も、急遽来日し、OBとともに、恩師の叙勲をお祝いした。同門のOB会としては、先生のご退職以来の実施であり、18年ぶりの再会に話が盛り上がり、飲食も忘れて昔話に花が咲いた。


瑞宝小受章 勲記

豊倉名誉教授ご夫妻とウーリッヒ教授

祝賀会の記念写真

 

 

 

 

 

(新18回 鶴岡洋幸、新26回 平沢 泉)

早稲田応用化学会中部支部第14回交流会開催のご案内

早稲田応用化学会中部支部第14回交流会

 

早稲田大学 特任教授 逢坂哲彌氏
     “最近のエネルギー・蓄電池の話題~自動車EV化に伴って~”

第14回中部支部交流会を下記要領で開催致します。今回の講師は、現在、特任研究教授の一号としてスマートエネルギーシステム・イノベーションセンター長としてご活躍中の逢坂哲彌先生にお願いしました。
講演内容は何方様にとっても大変興味ある内容となっております。講演後は懇親会も予定しております。お誘いわせの上、多数ご出席下さいますようご案内致します。
                          早稲田応用化学会中部支部
                          支部長 三島 邦男

1.演題  最近のエネルギー・蓄電池の話題~特に自動車EV化に伴って~

2.講師  逢坂哲彌先生
      早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構特任研究教授・名誉機構長
                      早稲田大学理工学術院名誉教授

3.日時  2017年10月14日(土)
                     受付16:00より
                     講演会 16:30~18:00
                     懇親会 18:00~20:00

4.場所  名古屋ダイヤビル1号館 (JR名古屋駅桜通口より徒歩3分)
      アクセスはこちら(リンク終了)
       講演会 131号室
       懇親会 同ビル1階喫茶「サンディア」

5.会費  講演会 無料
                     懇親会 3,000円

         参加申し込みはこちらから→ここをクリック。
         準備の都合上、来る10月6日( 金)までに申し込み願います。
         お問い合わせ先:応化会中部支部幹事 堤 正之
       Tel. ;059-353-7639
          E-mail; m.tsutsumi @fuga.ocn.ne.jp

先進理工学部応用化学科創立百周年

 

 

 

明治41年(1908)早稲田大学に理工科が設置され、機械、電気、採鉱、建築の各科に続く五番目の学科として大正6年(1917)9月に応用化学科1期生の授業が始まりました。これを以て発足の時とし、本年は創立100周年になります。

これを記念し、応用化学科では下記のような記念事業を計画しております。

  1. 記念祝賀会
  2. キャンパスツアー
  3. 記念展示会
  4. メッセージ寄稿
  5. 寄付・寄贈

下のLinkの応用化学科のHPにて詳細をご参照の上、本記念事業への積極的なご参加をお願いいたします。

応用化学科創立100周年記念事業ご案内

第30回、第31回交流会講演会の資料を資料庫に収納しました。

第30回講演会講演会(突破力 株式会社キャステム代表取締役社長 戸田拓夫氏)、第31回交流会講演会(タケダのグローバル化への挑戦 武田薬品工業株式会社 相談役 長谷川 閑史氏)の資料を資料庫に収納しました。

資料庫への入室は → こちらから

(資料庫への入室はID,パスワードが必要です)

第9回早桜会講演会・懇親会のお知らせ


 早桜会(早稲田応用化学会関西支部)では、第9回講演会を下記要領で開催します。今回の講師には、岐阜大学特任教授の木内一壽先生(新24回 平田研究室)にお願いしています。どなたにとっても大変興味深い講演内容と思います。講演後は、同倶楽部で懇親会も予定しています。初めての方もぜひ奮ってご参加ください。

演題

ヒト脳の特性

講師

木内一壽先生
(岐阜大学生命科学総合研究支援センター 放射性同位元素実験分野 特任教授)

日時

2017年9月9日(土)
    講演会  15:00 ~ 17:00
    懇親会  17:00 ~ 19:00

場所

中央電気倶楽部(大阪・堂島浜)
大阪市北区堂島浜2-1-25  06‐6345‐6351
    講演会  215号室
    懇親会  特別食堂

会費

講演会  無料
懇親会  5,000円
(ただし、学部卒業後または大学院修了後2年間は、2,000円)

講演要旨:
この講演では、最初に、脳を構成する神経細胞について簡単に説明します。次に、ヒト脳の進化に影響を及ぼした遺伝子について例を挙げ、分かり易く解説します。最後に、ヒトで発達した前頭葉について、エピソードを交え、その機能について話していきたいと思います。

早稲田応用化学会 交流委員会主催 第31回交流会講演会の報告

『タケダのグローバル化への挑戦』
~ 世界をとりまくパラダイムシフトのなかで ~

講演日時:2017年7月13日(木)17:00~19:00(学生代表とのパネルディスカッションを含む)
講演会場:63号館2階03室、04室、05室  引き続き63号館1階ロームスクエアで懇親会を実施

講演者;長谷川 閑史 (はせがわ やすちか) 氏 武田薬品工業株式会社 相談役

1970年 早稲田大学 政治経済学部卒業
 同   年 武田薬品工業株式会社入社
1998年 医薬国際本部長
1999年 取締役
2003年 代表取締役社長
2011年 公益社団法人 経済同友会 代表幹事(2015年まで)
2014年 代表取締役 取締役会長
2015年 東京電力株式会社(現 東京電力ホールディングス株式会社) 社外取締役
2015年 取締役会長(2017年まで)
2016年 旭硝子株式会社 社外取締役
2017年 相談役

保谷交流副委員長の司会のもと、まず早稲田大学名誉教授である竜田邦明・栄誉フェローから講師紹介が行われた後、教員・OB/OG・講演会関係者67名、学生73名、合計140名(来場者ベース)の聴講者を対象に講演が始まった。なお、講演会場内で投影された説明資料は印刷物としても用意して頂き、聴講者一人ひとりに配布された。講演は基本的にこの説明資料に基いて順を追ってなされており、本報告書でもこの説明資料を引用した部分がある。

保谷交流副委員長からは、竜田邦明先生が、武田薬品と深い関係にあり育英事業を行う公益財団法人尚志社において長年評議員及び理事の役職にあり、長谷川閑史氏ともお付き合いが長いこと、また竜田邦明先生ご自身も尚志社から奨学金を受けた奨学生であることが紹介された。

竜田邦明氏による講師の紹介

長谷川閑史氏の講演

長谷川閑史氏の講演

講演内容は下記の3項目に大別されている。
(講演内容要旨は下記の項目をクリックしてご覧になれます)

1.世界のパラダイム・シフト

2.医薬品産業の現状と今後

3.タケダのグローバル化への挑戦

 

質疑応答(要旨)

講演の最後に聴講者の1人から次のような質問があった。

*研究拠点を湘南Research Centerからアメリカに移した、という話があったが、武田薬品において創薬が出てこなかった原因は何か? また、拠点を海外に移した理由は何か?

これに対して講師から下記のような説明があった。

*2つ理由がある。

1つは、1990年代の初頭位まで、市場に出ている製品の9割は低分子化合物で、錠剤とかカプセルとかの経口薬であった。ところが、Unmet Medical Needsとして残された病気は治療が難しく原因の究明も難しい。ましてや治療法が出てきてもそれは注射剤であり、経口剤では難しい。経口ということは水に溶けなければいけないが、それが中々難しい。そのスペースを埋めたのが抗体を中心とした生物学的製剤である。日本は低分子化合物でTopであったが、それだけに生物学的製剤への切り替えが遅れた。例えば抗体のTechnologyは1970年代の半ばに分かっていたが、そのTechnologyを使って具体的に治療薬を出すのに約20年位掛かった。当社も含めて日本の企業は抗体の研究を行ったが、うまくいかず途中で投げ出してしまった。ところが欧米の企業は、自分のところで出来なければHigh Risk、High Returnを覚悟のBio Ventureを取り込むことによって、抗体の技術を自らのものにしていった。日本は、某製薬会社1社を除いては抗体の研究を最後まで続けて製品化したという成功体験のある企業は無い。成功体験のある所へ行って取って来ることも難しい。
残念であるが、Bostonが世界のResearch Hubでinnovativeな薬の6~7割を出している。そういうEco Systemを作れない日本で頑張るといっても、それは根拠のないGambleのようなものである。今は、そういう世界のResearch Hubに行ってInsiderになって研究開発を行う道を選んだ。それが究極的に正しいかどうか分からない。ただ、今の延長線上で行く将来の姿と比べて、何かの改革をやることで成功確率、あるいは将来の絵姿が少しでも良くなるのであればそれに賭ける、というのが経営者としての判断であると思うので、そういう改革を行ったという事である。

講演の後、講師を囲んで学生によるパネルディスカッションが開催された。

学生によるパネルディスカッション

テーマ「私達のパラダイムシフト」

パネルディスカッション

参加学生:

M1 田中 徳裕(Facilitator)
M1 石原 真由
M1 福井 宏佳
B4 政本 浩幸
B4 柳川 洋晟

パネルディスカッション

学生によるパネルディスカッションの内容、および学生の講演会に対する印象については、学生交流委員のページで報告されています。   ⇒ 学生のページはこちら

第31回交流講演会Gallery

懇親会

学生によるパネルディスカッションの後、会場を63号館1階ロームスクエアに移して懇親会を開催した。(懇親会参加者;教員・OB/OG・講演会関係者51名、学生60名、合計111名)

町野交流委員長の司会のもと、応用化学会三浦会長の挨拶、そして竜田栄誉フェローの乾杯のご発声の後、懇親会が始まった。今回は特に講師所属の会社説明のため、武田薬品工業株式会社 社長室から下記4名の方にも参加して頂いた。

渉外・秘書担当部長 田村 聖彦 様
主席部員 小泉 雄介 様
課長代理 高際 辰之 様
課長代理 片野 詩子 様

また今回は学生参加者も多く、講師を取り囲んでの輪は勿論、上記4名の方を取り囲んでの輪も会場のあちこちに開いて盛大な催しとなった。帰国子女である学生が講師と英語で話している姿も見られた。

懇親会

橋本副会長の中締めの挨拶の後、松方主任教授から閉会の挨拶を頂いた。松方先生はこの日海外出張からの帰りの日で、空港から直ちに懇親会場まで駆けつけて頂いたとのことである。最後に上宇宿学生交流委員による、武田薬品の製品を引用した魅力ある挨拶と一本締めにて解散となった。

第31回交流講演会懇親会Gallery

(文責:交流委員 小林幸治、写真撮影:相馬威宣、橋本正明)

――― 以上 ―――

 

 

タケダのグローバル化への挑戦

3.タケダのグローバル化への挑戦

1)武田薬品236年の歴史

長谷川閑史氏の講演

企業の場合は、というかあらゆる組織に共通であるが、皆の合意Consensusを得て意思決定をすることが、すぐには難しい場合がある。冒頭に進化論に関する言葉をあげながら、変革をリードするのがリーダーの仕事であると申し上げた。変革は、多くの場合リーダーが言い出さないと動かない、実際に起きない、というケースが多い。但し、リーダーが言い出してもその組織のメンバーにきちっと説明をして、納得をして、皆が一緒にやっていく形、これをbuy inというが、buy in processを取って皆が納得した上で、引っ張っていく、engageさせるということが大切で、これもリーダーの役割である。このようにリーダーが主導しなければならないtransformation、変革というのが沢山ある。
私は企業の場合しか分からないが、学校でもいかなる組織にでも色々あると思う。自治体でも中央政府でもあると思われる。
武田の場合、竜田先生が私を冒頭紹介して頂いた時に、後任にフランス人のクリストフ・ウェバーという人を外から引っ張って来て就けたと仰った。何故そのようなことをしたかということを次に述べます。薬というのは世界どこでも良い薬は良い薬である。ということは逆に言えば、地域の特性で熱帯病を治療する薬等は別にして、慢性疾患であるとか癌であるとかアルツハイマーであるとか、そういう病気を治療する良い薬はロシアでも良い薬であり、キューバでも良い薬です。
そういう意味で国境はない。だから良い薬を兎に角自分の所の研究開発で見出すか、あるいは自分の所で出来なければどこかBio Ventureのような所でやっていて、有望な物を持っている所を素早く取り込んで、早く開発をして患者さんの所へ届けることの両方をやらなければならない。
私共武田薬品の場合には、日本でNo.1、アジアでNo.1の製薬企業としてずっとやってきたが、その後Global化もそんなに急速に進めなくても維持出来た時代が長く続いた。今やICTと同じように良い物さえ出せばGlobalに世界同時上市も出来て、結局如何にそういう物を生み出すか、あとはそのGlobalなFootprintを持っていて、良い物を一斉に全世界で売り出すだけのPlatformがあるかどうか、そういう所で差が付く訳である。
そうすると我々の場合には急速にGlobal化を進めたけれど、まず人材が追い付かない。それと同時に、人材が追い付いてFootprintを作ってもそれを本当に自分でmanageして成功させた経験のある人が殆どいない。そういう人達が足りなければ外から持って来るしかないということになる。
育てていたら10年、15年掛かるわけで、それでは全然間に合わない。そういう状況の中で究極の選択が、私の後任をグラクソ・スミスクラインという世界Top5に入る会社のCEO Succession Candidateになっているような人であったクリストフ・ウェバーを、Head Hunterも使わずに個別にcontactして納得させて引っ張ってきた、ということである。
それは私が決断し実行しない限り、誰に頼む訳にもいかない。所謂Executive Decisionの1つである。勿論そういう決断をして選考する場合に、Selection Committeeを作ってSelection Committeeのmemberがそれぞれ一人ずつinterviewしてその結果を持ち寄り、加えてCEO Successionをsupportする専門のConsulting会社がアメリカにあるので、そこを雇って、更に1人について5時間位のinterviewをしてScore Cardという評価結果を出してもらい、それらを全部総合的に判断して、最終的に2人のCandidateに絞った。2人のCandidateを、指名委員会の委員長、それから委員、2人とも社外の取締役なのでbiasは掛かっていないわけで、この2人にどちらが良いか、と選んでもらって最終的にクリストフ・ウェバーを選んだ。どこから聞かれてもtransparent、透明化しても問題ないような形で選んだ。そういうことはTopが考えて実行して行かないと出来ない。そういうものが企業には沢山有るし、他の組織でも沢山有ると思う。

2)社長就任前(2003年)に考えたこと

ここで1つだけ覚えておいて頂きたいのはBenchmarkingである。所謂BenchmarkingというのはIndustryの中でBest Performing Companyは一体どういうBusinessのやり方をしているのか、Sales、Marketing、研究開発、色々なやり方があるし、この資料に書いてあるような色々な項目について、Best Practicing IndustryでのBest Practiceを実行していると思われる会社と比べて、自分達はどこが劣っているかという事を出して分析し、導き出してその差を縮めていき、埋めていくことを考えるのがBenchmarkingのやり方である。それを徹底的に色々なBusinessのUnitに関して行って来たということである。

3)売上と利益率の推移

何故Benchmarkingをやらなければならなかったかを次に述べる。この資料は2003年から2016年までの業績の推移であるが、Barは売上の絶対額で、赤の折れ線は営業利益率(%)であり、2008年までは[売上は]順調に伸びた。しかし、我々は先程述べたように特許が切れると、アメリカでは数カ月の内にGenericに置き換わり、売上が殆どなくなる。日本ではその置き換わりのスピードが随分遅かったが、ここ2~3年、政府が欧米型のMarketに組み替えてGenericへの置き換わりを急速に、また強制的に行うよう法律を変えた。従って今や特許切れが来ることが分かっている製品については、それをcoverする製品を如何に早く自社で開発するか、あるいは他社を買収するかを考えないと、たちまち売上/利益は大きく落ち込んでしまう。

要は、我々は2010年問題と言っていたが、2010年には従来の主力製品の特許が相前後して全部切れてしまう。そうすると売上が殆ど0となってしまう。僅か4~5年の間に、1兆5000億円位の売上の会社の6000億円の売り上げが吹っ飛んだ。そういう状況が来ると分かっているから、それを如何に埋めて安定成長に持っていくか、というのが経営者の仕事であるが、言うは易く、行うは難しである。それと同時に、Product Liability Insuranceという、アメリカにおける製造物責任が大きく取り上げられて、訴訟を起こされた。アメリカで訴訟を起こされたら、それを最後まで裁判で戦って勝つよりは、膨大な訴訟のcostを考えると和解をした方が良いというのが殆どのcaseである。従って、とんでもない話しであるが3000億円も払って訴訟を和解した。そのために営業利益がマイナスとなっている。こういうことが起こることを分かっていて、経営者である私が指をくわえて待っていたかというと、それは出来ないので何をしたかというと、買収をした。

4)TakedaのGap Fillingを主目的にしたCross borderのM&A <2003-2013>

武田という会社は236年の歴史があるが、私が社長になるまで買収はしたことがなかった。同族企業の合併はあったが、買収はしていない。2005年に初めて、サンディエゴにある、X線を使ったタンパク質の高速結晶構造解析技術という特殊なTechnologyを持つ、シリックスという会社を買収した。買収額は270百万ドルであった。また、イギリスのCambridgeにある会社を買収した。これはResearchのTechnologyの足りない部分を補うための買収であった。買収の規模も小さかったし、実際のリストラも必要なかったし、むしろ彼らが限られた原資の中でallocation出来なくて、やりたくても出来なかったことを武田が買収したことによって出来るようにしてwin-winのSynergyを作った。その後ミレニアム社という、癌に特化したBio Ventureの成功企業を9000億円で買収した。その後今度は、新興国に進出しなければならないが1つ1つ自分で旗を立てていたらとても時間が掛かって効率も悪いということで、スイスのチューリッヒにあるナイコメッドという会社を1兆1000億円で買収した。これらを武田の中にintegrateしていった。特にこの会社を買った時には、規模も買収の金額も大きかったが従業員の規模も1万2000人もいて、その中には要らないBusinessもあったので売却をしたり、Post Merger Integrationという、買収後に如何に会社の中に組み込んでいくか、融合させていくかというProcessの中で相当なリストラも行った。それらを踏まえて今はまた、パイプラインという研究開発の製品を外から取り込むことによって強化をしていくことを中心に行っている状況にある。こういう、行ったこともない買収を、それもcross borderで日本から海外の企業を買収してintegrationしてきた。

5)タケダが目指すグローバル経営とは

上記も含めて、やはり我々日本人だけではそこの部分について十分な対応が出来なかったので、出来るだけ短期間に事業のあらゆる面でグローバルに競争力のある会社に変革するために、Topも含めてKey PositionにはGlobal Standardで成功体験を有するTalentが必要である。先程はCEOの後継者としてフランス人のクリストフ・ウェバーを申し上げたが、ここでは例えばCFO、Chief Financial Officerとか、Chief Medical and Scientific Officer、研究開発本部長とか、Chief Human Resource Officer、Global人事部長とか、Chief Information Officer、つまりGlobal Information TechnologyのTopとか、Global Procurementという、Globalに調達をするTopとか、そういった人達を欧米の企業からHead Huntして持ってきて、それらでTeamを作って効率化を図ると同時に、先程の買収した企業を融合していくというProcessを出来るだけsmoothに進めるようにした。

6)グローバルで多様性に富み、かつ豊富な経験を備えたタケダ・エグゼクティブ・チーム(TET)

その結果が、タケダ・エグゼクティブ・チームという、日本の会社でいくと執行役も含めた経営陣ということになる。8ケ国の国籍、14名の陣容である。14名のうちの3名が日本人で、残りはNon-Japaneseである。女性は残念ながら一人しかいないが、今後女性を増やしていくのが我々のChallengeの一つである。

これもExecutive Decisionで行った訳である。これは私の後任のクリストフ・ウェバーが来て、仕上げを行った。Conceptとしてこういうことを私も考えていたが、実際の仕上げを行ったのはクリストフ・ウェバーである。

7)タケダの意思決定体制図

タケダの取締役会はいま13名で構成されるが、そのうちの社内取締役は僅かこの4名である。日本人が一人でアメリカ人が一人、あとはアイルランド人とフランス人である。4人の国籍が全部違うということである。あとは社外取締役が9人で、その中にもNon-Japaneseが2人いる。東恵美子さんも日本人ではあるがアメリカでずっと仕事をしているので、半分アメリカ人のような方である。藤森さんもGEに長い期間いて、それからLIXILのTopをしているということで、半分アメリカ人みたいな方である。従って非常にVarietyに富んだ役員構成となっており、そうすることによってGovernanceを透明にしている。

8)研究開発の変革―疾患領域の絞り込み・日本と米国への拠点の集約

それと同時にもう一つは、先程から何回か言った研究開発の難しさ、それから日本が創薬力において段々沈下していることを述べたが、その状況をこのままにしておくと、とてもではないが世界に伍して戦っていけないということで、私自身がこれをやり残したR&Dの生産性向上のための変革を、後任のクリストフ・ウェバーと、R&DのTopのAndrew Plumpというアメリカ人で行った。何を行ったかと言うと、我々が完全にfocusしている治療領域を中枢神経と癌と消化器に絞り、再生医療とワクチンについては+αで行うことにした。このTransformationをやる以前は、研究拠点は神奈川県の藤沢市と鎌倉市の境界線上にある、元工場があった湘南Research Centerで約1200人のResearcherを抱えて研究をしていたが、それでやってみても10年~15年の間物が全く出なかった。このまま行っても生産性は上がらないということで、日本には中枢神経と再生医療とワクチンを残した。ワクチンは、製造拠点は日本に残して研究開発の拠点はアメリカとした。こういう体制にすることにより研究開発の生産性を高めた。同時にOpen Innovationという形で、社外のBio Ventureのような研究開発をしている所を常に注目し、必要に応じて買収をしたりResearchのCollaborationの契約をしている。このような形で大きくやり方を変えた。その結果設立した会社の例を資料に示した。詳細説明は省略する。研究をfocusして、focus領域以外は外にspin outしてPartnerを見付けて、それぞれに特化した会社を作って研究開発を行うというやり方をしている。

一方で、これは後任社長のクリストフの考えでもあるが、これだけの大変革を行ったが、湘南Research Centerにいた約1200人のResearcherに関し、その中でアメリカでこれから自分の能力を磨きChallengeをしたいという人達については会社がendorseし、3年間で1クール[cours、課程、仏語]であるが6年間はアメリカで成長してもらえるChanceを提供したところ、100人位が手を上げてくれて、そういう人達もこれからBostonに行って世界の最先端のResearch Hubの中で切磋琢磨をしながら自分達の力を磨いてもらうということも行っている。

9)経営の基本精神

下図の資料はこれまで説明してきたことのBaseとなっている考え方である。ここに書いてある通りなので、説明は省略する。

<推薦図書>

次の6つの図書について、推薦される理由と概略内容等の説明があった。

長谷川閑史氏の講演

  1. マッキンゼーが予測する未来―近未来のビジネスは、4つの力に支配されている by リチャード・ドッブス他
  2. 2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する by 英「エコノミスト」編集部
  3. サピエンス全史(上・下) by ユヴァル・ノア・ハラリ
  4. アップル、グーグル、マイクロソフトはなぜ、イスラエル企業を欲しがるのか? by ダン・セノール他
  5. 7つの習慣 by スティーブン・R・コヴィー
  6. セブン・マスターズ ―「瞑想」へのいざない by ジョン・セルビー

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