早稲田応用化学会 交流委員会主催 第35回交流会講演会
2021年4月24日(土)15:00~17:00 (Zoomによるリモート開催)
講演者 桜井公美氏 プレモパートナー株式会社 創業者・代表取締役
演題 『デザイン思考で医療機器開発を!』
副題 「テクノロジーPushか、ニーズDrivenか」
講演者略歴
はじめに:
今回は、交流会講演会として初のリモート方式による開催となりました。
参加者:83名(卒業生64名[講演者、先生を含む]、在校生19名)
本講演会には早稲田応用化学会の濱会長、及び講演者の恩師である酒井名誉教授にもご参加頂きました。お二人から頂きましたご挨拶の内容については、本講演会の進行に合わせまして本文の最後のところに掲載させて頂きました。
また、本文の後半に記載しましたパネルディスカッションにおきまして、その司会は講演者と同じ酒井研究室出身の吉見靖男先生(芝浦工業大学工学部応用化学科教授、新制40回)にお願いしました。
まず椎名交流委員長による開会宣言、及び講演者の略歴紹介が行われた後、講演が始まりました。
なお、本講演会におきまして講演者が作成し、説明のために使用されましたプレゼンテーションファイルが応化会HP内の資料庫に格納されています。こちらのファイルも是非ご覧ください。(閲覧には資料庫のパスワードが必要です。)
講演会
医療機器について
医療機器の範疇は広く、非侵襲であるMRIやPETなど診断機器、メスの様な治療上のリスクが小さいものからステントや人工弁の様な体内に植え込むリスクの大きいものまであり、医療現場で使用されるまでの承認プロセスは異なっています。
演者がこれまで携わってきた治療領域や製品は主に循環器内科、心臓血管外科、脳外科などで使用される治療機器で、医薬品医療機器総合機構(PMDA)の厳しい審査を経て厚生労働大臣の製造販売承認が必要な治療上のリスクの大きなものになります。
世界的には医療機器の市場規模は拡大を続けていますが、日本に関しては世界の市場拡大の伸びに比べると直近の5年で3%と微増、加えて貿易収支でも輸入額の伸びが顕著で日本発の機器輸出額が大きくないのが現状です。
厚生労働大臣の承認が必要な医療機器は医薬品と同様に、開発過程が複雑で医療上のニーズを検討、機器の試作にテストを重ねた後に非臨床試験、臨床試験を経て、この間に品質マネジメントも確認しながら承認に到りますが承認後も品質上の不具合の確認など多くの専門家による検証が必要になってきます。従って、開発期間を経て承認に到るまでのプロセスで5~6年、さらに承認後も成長維持から次世代への転換まで5~10年の長いライフサイクルとなる製品開発には
- 簡単に後戻りできない
- ニーズの見極めが重要で多くの医療関係者の協力が必要
- 医学的根拠に基づき開発する
- 臨床的意義・臨床的価値がないと判断されると承認が取れない
- 技術力・製品力が市場浸透に不可欠
- 開発に薬事(承認に向けた審査やPMDAへ提出する資料の取りまとめなど)、品質マネジメントなど専門的知識が不可欠
と言えます。
ベンチャー企業の活用
米国における大手の医療機器メーカーはこれらの複雑な開発プロセスをすべて自前で推進せず、ベンチャー企業を活用しています。大手ベンチャー企業はいくつもの異業種ベンチャーへ投資し、その成果として製品やライセンス、知的財産を買収することで回収しています。それぞれで以下の様な役割や性質分けがされています。
社会環境が大きく変わりつつある状況で従来型のビジネスモデルに固執することなく革新的な商品やビジネスモデルを実現していくためには自前主義からベンチャー企業への投資や買収、売却により他社技術の積極的活用によるオープンイノベーションの発想が重要になります。
昨今の医療機器のトレンド
体に装着できるウェアラブル医療機器が市場に新しいトレンドを生み出しています。
治療用機器としてはリハビリ用、呼吸器治療用、疼痛管理(ペインマネジメント)や糖尿病治療としてのインスリンポンプなど、診断機器としては胎児、睡眠、神経、バイタルサインなどのモニタリングを行うウェアラブル機器が開発されています。例えばアップルウォッチに搭載出来る心電図や心拍数を計測するアプリケーションも医療機器として認可されています。
また、AIの活用も重要な視点になります。健康維持や病気予防には、診断機器と健康データや生活習慣データ(ビッグデータ)へのAIの活用、治療期においては検査や診断支援としてのAI活用や、論文、集積された個別の症例データへのAIの活用による新薬開発の加速化などがあり、既に胸部CT、脳MRI、消化器内視鏡による病変検出に応用が進んでいます。
日本の医療機器開発事情
米国では、ベンチャー企業に対して、製品の開発段階に応じ、ベンチャーキャピタルからの投資やベンチャーが創生した技術を孵化させる(インキュベーション)など必要な支援が実施される体制が出来ているのに反して、日本においてはベンチャー企業がとても少なく、投資環境も支援体制も十分に整っておらず、米国の様な成熟した分業体制は確立されていません。従って少数のベンチャー企業を確実に育成していくことが不可欠だと考えられます。
バイオデザインとデザイン思考
バイオデザインは、医療現場のニーズを出発点として、医学や工学、ビジネスなど分野横断的な視点から革新的な医療機器の創出を目指す2001年からスタンフォード大学で開始されたプログラムです。医療従事者やエンジニアなど多彩な人材がチームを形成し、医療現場のニーズを探索しながらその解決に向けたアイデアを出し合い、プロトタイプ開発やその検証を行います。事業化の視点を取り入れて医療現場で実際に必要とされる医療機器の開発を実施することから、スタンフォード大学発ベンチャーは60社以上で、今や270万人以上の患者の治療に寄与しています。
このバイオデザインの根幹にあるデザイン思考とは、問題解決に向けた従来の分析思考(カイゼン思考)と異なり、プロセス自体や新しい価値を生み出すことを本質とした課題解決のための設計方法で、目的を設定してそのための攻略方法、戦略を立てていくやりかたではなく、顧客を観察し、ニーズを理解して新たな価値を生み出す思考法になります。
プロセスとしては、
1)注意深く観察し、出来るだけ多くの問題点をピックアップし
2)その問題点を吟味し問題の本質がどこにあるかを見極め、
3)可能な限り多くの解決法を考察し、
4)その中からいくつかのアイデアを抽出して研ぎすます
5)そのアイデアを検証し試作する(プロトタイプの作成)
6)試作品のテストを実施してフィードバックを得てブラッシュアップする
になります。
バイオデザインの取り掛かりとしては、最初の問題点の特定が重要なポイントで、チームは臨床現場に2か月ほど張りつき医療現場を様々な視点から観察したうえで200項目以上のニーズをリストアップします。これを何度も議論をかさねることで解決策を創出していきますが、対象となる患者、ニーズに対してアウトカムをどう評価するかまで明確に定義したうえで個別のニーズについては市場規模や患者や医療従事者へのインパクトなども調査、評価した上でそれらをスコア化(可視化)し最終的に4つほどにふるい分けをしていくことになります。
一般的に、ベンチャー企業は10社中1社しか残らないとされています。しかし、バイオデザインを取り入れて起業したケースでは成功確率が高くなっています(61社中でM&Aまで持っていったのが11社(M&Aまでの中央値が5年ほど)で上市まで進んだのが2社)。
社会貢献の観点からも成功した例として発展途上国の新生児を救う保温器「Embrace」の例があります。
現在、約1500万人の早産児と低体重児が生まれておりそのうち100万人ほどが低体温症のために生後24時間以内に死亡する実態がありますが、体温を保つための保育器は1台当たり2万ドル(200万円)もしていたことから開発途上国では導入が中々進まない問題がありました。そのために安価な(2万円)保育器の製作について検討が行われましたが、実際には安価な保育器を導入しても実際に使用される例が顕著に増大しませんでした。なぜなら、低体温症で死亡する新生児の多くが都市部ではなく医療機関から離れた農村部や郊外に多かったからです。自宅分娩で使用できる装置という観点が重要でした。誰の何を解決したいのかという視点で作られたものが、実際に使われるためには重要である事例であったと思います。
一方で失敗しがちな例として「イノベーションのジレンマ」を紹介します。エンジニアは常に改善を思考していくために持続的なイノベーションの進化が顧客の求めている性能ニーズを超えて行き、この両者の乖離が大きくなってしまう点で、顧客目線での開発を置き去りにしてしまうことによるリスクが増大します。製品開発に必要な視点は人がなぜその製品やサービスを購入して製品をどう使うのかにあり、人間の生活を中心とした考え方が重要です。
私たちを取り巻く環境はAIやビッグデータの活用といった技術革新や、グローバル化にともなう人の流れや高齢化、新興市場の都市化といった人口統計学的属性の変化、技術革新や社会情勢にともなう行動様式の変化など加速度的に進んでいます。課題解決と価値創出のプロセスはより重要なものになると思います。
パネルディスカッション:「未来をつくる人になろう」
パネラー:西尾博道(M1)、本村彩香(M1)、五十嵐優翔(B4)
※詳細は学生委員会HPに掲載予定の記事を参照ください。
- 講演を受けて起業に対する意識は
演者からは、「年齢を重ねて考えが変化した。就職当時はバブルで、企業に就職するのが既定路線で、学生だった当時は、起業など想定していなかった。」と。
現役学生からは、「演者の話を聞いて、一般企業の就職を考えているが将来的に環境変化や共同作業する人たちとの出会いのチャンスがあれば多様性が生かせる時代にもなりベンチャーも選択肢になると思う。」とのコメントがありました。
- デザイン思考について
日本人が得意なところは「戦略思考」だと思う。一つのパイを取りに行く戦略的勝ち抜きのための一定のセオリーに基づいた行動など、日本人は実直に対応していける能力を発揮している様に思います。
「改善思考」については課題解決について検討するプロセスとしてはデザイン思考にも通じる部分があるもののPDCAサイクルを回して現在ある課題を解決してクオリティを高めていく点では、「現在」にフォーカスしたもので、デザイン思考は今ある課題を分析検討してこれからに活かす未来志向の考え方になります。
大学の授業では思考プロセスについて詳細に教えてもらう機会がないかも知れませんが、研究室生活で自分自身が従事している研究の最終的な目的や成果物がどの様に社会で活かされるかを考えながら研究することも大切だと思います。
アントレプレナーシップ教育も大学で取り入れられ始めています。テクノロジープッシュに偏らないように、前向きに起業家精神も身につけてほしいです。
- 今の普通が将来的な普通ではない
ビジネスの環境は激変しています。現在おこなっている研究開発はそれが結実する頃には既に時代遅れになっているケースもあるので、「未来にこのような状況だったらいいな」といった変化を見据えて将来を考えるのがポイントだと思います。社会環境は自分で変えられるものではないため、起業してから環境変化を意識するようになりました。ベンチャーを立ち上げるとキャッシュフローも自分自身で考えるようになります。中長期的な戦略は短期的なキャッシュフローの影響も受けるため投資のタイミングや成功確率の見極めも考慮する必要があります。これらを解決するには一人の力では出来ないため、チームで動かして行く必要があります。
環境変化の見極めの重要性について、外資系のフィルムメーカーの例を紹介します。その会社はデジタル化の波がくることを予想して他社に先行してデジタルカメラを開発していました。しかし、フィルム市場でマーケットリーダーだったため、自社のコアテクノロジーに固執し、新規技術を封印してしまいました。戦略思考にフォーカスした結果として社会動向についていけなくなったのです。(イノベーションのジレンマの一例)。
大企業がベンチャー企業を買収する際にdue diligenceを実施します。その際には、知的財産がどれくらいあるかという点も重視します。ベンチャーの価値を高めるために、全方向的な視点での考慮と資金援助は不可欠ですが、それをアクセレレートさせるインキュベーターのパワーの必要性を認識しています。自分が今起業してモチベーションが維持できている理由としては、自分の好きなことをやっているという意識と、社会的環境は変えられないがプロセスは変えられるという意識がポジティブに働いているように思います。
質疑応答
Q1 日本の医療機器メーカーが世界上位に入るためには、環境含め様々な課題があると考えますが、その中でも日本企業の強みについて、ご意見頂ければ幸いです。
A1 日本企業もオープンイノベーションに舵を切っているように思います。M&Aや他社で切り離しをされた部門の買収なども進んでいるように思います。新規事業については従来の事業形態からは切り離して考えていく必要があります。品質など日本人の真面目な部分や協調性など日本の強みに成り得る部分かも知れません。
Q2 様々な人や情報に触れることで問題を発見したり、知識・考えを広げていったりすると思うのですが、それらをうまく整理する方法等、ご教示願えませんでしょうか。
A2 他の人の話は積極的に聞こうと考えています。自分自身が知らない分野の話はそれ自体が新しい気付きですし積極的に他の人との交流をするように努めています。「知の深化」と「知の探索」の両方がイノベーションには必要と言われていますが、探索にはコミュニケーションが必須であるので一つのコミュニケーションで一つの学びがあることを意識づけしています。
Q3 アカデミアの方々は論文を数多く出したいと考え、産業は儲けることを第一に考える。アカデミアはコストのことをあまり意識しないが、産業はコストが重要課題になってきますがこの相違をどう解消しますか。
A3 学術で考えることと産業のプロセスは全く違うのでその隙間を埋める必要がありインキュベーターにその役割が課せられているように思います。調整を適切に実施していくにはそれぞれでの経験が双方の立場を理解する上で重要だったと思います。
質疑応答後、恩師である酒井清孝名誉教授からご挨拶を頂きました。
酒井名誉教授からのご挨拶:
医療機器の開発において医工連携は重要で米国では医学部のスタッフも工学部など他学部から進んだ方も多いため連携は進みやすいが日本では厳しい面もあったことを踏まえて演者へ熱いエールが送られました。
本講演会の最後に、早稲田応用化学会の濱逸夫会長からご挨拶を頂きました。
濱会長からの閉会のご挨拶:
本講演について演者、関係者への謝辞とともに自社戦略でもデザイン思考について検討していた経験についてコメントを頂き、また学生向けメッセージとして多くの方とコミュニケーションをとって知見を広めて知識の探索も深めていただきたいとのエールも頂きました。
――― 以上 ―――
(文責;交流委員会)