平成30年11月10日(土)午後、応用化学科給付の奨学金を受け博士号を授与されて、社会の様々な方面で奮闘されている面々が西早稲田キャンパスに集まって参りました。遡ること夏の盛りに、西出 宏之会長の声掛けを受け、河村 宏氏(元会長)、平林 浩介氏(元副会長)、下井 將惟氏(元副会長)ら有志が西早稲田キャンパスで、応化会として何か新しい企画が出来ないか検討を始め、それが応化会の将来を支える一つになればとの想いも交えて生まれたのが「応化給付奨学金受給者の集い」でした。
大学院で博士を目指して5年間に亘り修学、研究に没頭する応化学生を支援し、顕彰するため、応化会皆様の志をあつめて原資とした応化給付奨学金、および同じく水野 敏行、平田 彰、中曽根 荘三、里見奨学会奨学金受給者、古賀 憲司褒賞受賞者に呼びかけました。母校に参集し、近況を披露しあい、親交をあらためるホームカミングデーであり、奨学生選考に携わってきた方々も支援の思いを秘めてホストとして参加して、交流することを目的とした企画で、第一回は新51回生~新57回生(2001年~2007年学部卒相当)の博士修了者に声を掛けさせて頂きました。 ( 案内状 → こちら
当日参集された奨学金受給者の皆さん
当日は、地方からの参加者も含め11名のかつての受給者が参加、平林 浩介氏(新10)の司会で、西出 宏之会長(新20)の挨拶でスタート致しました。会長からは、応化の博士奨学金の経緯を再度紹介、交流とネットワークに期待しているメッセージをいただきました。
続いて、黒田 一幸副会長(新24)のご挨拶では、以下のメッセージが伝えられた。ご自身が受けられた日本証券奨学財団の奨学金では、奨学生の同友会の会合が毎年あり、会報も発行している。台湾へ留学している人向けの台湾の団体からの奨学金では、台湾の人が日本留学時の日本ロータリークラブ会員からの支援への恩返しだそうである。応化会ではシニアの方々がお金のみならず貴重な時間も提供して下さっている。ご挨拶の最後は、貧しい家から托鉢に回るべきと諭した釈迦の話と「世の中のために喜ばれるようにお金を使っている人にお金を使う」という言葉を紹介されて締めくくられた。
続いて、奨学金受給者11名が自己紹介をしました。 最近の研究内容であったり、会社のことであったり、中には、同じ会社で働く応化OB/OGのメッセージを加えて紹介する人もあり、皆さんからわかりやすく紹介頂きました。 (参加奨学金受給者のリストは → こちら、 各奨学金受給者の自己紹介写真は → Galleryへ)
ここで司会を下井 將惟氏(新13)にバトンタッチし、今日の場のメインである交流の時間がスタートしました。河村 宏氏(新09)に乾杯をお願いしたが、まず乾杯をした上で、応化奨学金との関わり合いを紐解きながら、熱い想いを語られました。
水野賞は 兄が管理していたが、2003年に応化との再会をした際に 自らの身体で体感しようと、博士課程の皆さんと関わり合いを持ったこと。水野賞の後を担うように2007年に応化会奨学金を創ったこと。就職談話室(今の先輩からのメッセージの前身)を立ち上げ、会社に入ってからも 配属先を報告してもらい、年末に「しのぶ」を借り切って、色々なフィールドの人に会う場を提供する「再会」をいう催しをしてきたこと。
大学に恩返しをしたいという父の想いを引き継いだが、応化会は、若い人は去り、年輩者は歳を取り、空洞化して来ている。中堅の皆さんにリターンしてもらい 同窓の良さを伝えたいという西出先生のアイデアに諸手を上げて賛成した。
今日参加出来ない博士からも連絡を受けて、是非来年は参加したいとも言われている。皆さんのような若い人に囲まれて酒をのんでいる人は仲間には居ない。皆さんとの関係は財産となっている。 横のネットワーク構築はやってきたが、縦の関係は出来ていない。研究室を超えて、ネットワークの再構築をしてほしい。これが応化会の理想形と思う。今日はキックオフ。来年は20~30人でやれるようにならないかと思う。」と締めくくられました。
河村 宏元会長の乾杯の挨拶の後を受け、懇親会の場で、まさに縦の会話が始まりました。
今日、集まった博士の皆さんからは 来年は誰を連れてこようとか コアの拡大の話が聞こえてきましたが、あっという間に時間が経ち 橋本 正明副会長(新21)の中締めの挨拶を頂き、受給者の田原 聖一氏(新51)の一本絞めでお開きとなりました。 その後、早稲田の街へ場を変えて、交流の続きをされたと聞いております。 来年、またお会いしましょう。
(文責 事務局 高橋 宏)