様々な分野で活躍する卒業生

高森 茂さん(1962年学部卒)

【骨折を乗り越えて】

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2004年12月23日のスキーシーズン初滑りで、アイスバーン上で激しく転倒し、大腿骨頸部を骨折、チタン製人工骨頭への置換手術を受け、53日間入院致しました。担当医からは、硬いチタン製骨頭の関節では接している自骨を磨耗してしまうので、今後激しい運動をすると再手術が必要であり、登山やスキーは控えるようにとの指導がありました。しかし、それは一般論であり、骨密度が高く筋肉を鍛え上げた者と骨粗鬆症とではかなり差があるであろうと勝手に考え、限界に挑戦してみる事にしました。
シャモニーのブレヴァン・フレジュールスキー場とモンブラン山群

シャモニーのモンタンヴェールにて、
グランドジョラス北壁とメール・ドゥ・グラス氷河

2005年2月13日の退院後、ほとんどリハビリには通わず、ストック2本を突いての散歩、及びスポーツクラブでの水中歩行とストレッチ体操を始めました。筋肉が全く衰えてしまっていたので軽い運動から徐々に強くしていき、1ヵ月後には筋肉トレーニングと水泳も始めました。自転車には直ぐに乗れましたが、骨折した右足に力を入れて漕ぐには、かなりの日数がかかりました。退院4ヶ月後の6月にはかなり筋肉も回復してきたので、登山を再開し河口湖近くの毛無山に登りました。7月には松手山(谷川岳連峰の平標山の前衛)や筑波山に登ってトレーニングを重ねた末、流山稲門会の私が主催する登山同好会のメンバー12名で、9時間かけて新潟県と長野県の境に聳える雨飾山(標高1,963m)に登る事ができました。2本のストックを使い、右腰に荷重がかからない様に注意しながら登りました。その後、中央アルプスの木曾駒ケ岳・宝剣岳や会津駒ケ岳にも登り、9月末には11時間かけて年間目標の戸隠連峰の主峰・高妻山(標高2,353m)に登る事ができました。

クールマイユールスキー場(イタリア)にて、
 クールマイユールモンブラン

又、10月の骨折部位の定期検診の結果、全く異常は認められず、重い荷物を背負わない限り、登山は可能な事が判りました。スキーも再開し、12月下旬に尾瀬岩鞍スキー場で初滑りをしました。骨折した右足に体重をかけた場合を懸念しましたが、急傾斜の上級コース以外では何とか滑れるまでになりました。2006年1月中旬には志賀高原で4日間滑り、標高2千mの焼額山頂上からゴンドラの下の駅までノンストップで滑れる様になりましたが、未だスタミナでは元に戻っておりませんでした。1月末から2月初旬にかけて、日本山岳会スケッチクラブのメンバーに便乗して、私が主催する555スキークラブ隼組(はやぶさぐみ)の3名がスキーのメッカであるフランス・シャモニーで1週間スキーを満喫して来ました。モンブラン山群の毎日違うスキー場で滑りましたが、ほとんど初心者コースは無く、特にロニオン・グランモンテスキー場は、標高差2kmの急斜面が延々と3〜4kmも続く他に類を見ない凄いゲレンデで、世界中の自然派本格的スキーヤーの憧れの的です。イタリア側のクールマイユールスキー場でも滑りましたが、尖峰が続くクールマイユールモンブラン山群をバックにした雄大なスキーを満喫しました。シャモニーでは優秀なスキーインストラクターに恵まれ、骨折したハンデも忘れて延々と続く急斜面を、怪我もせずに滑りまくる事ができ、大いに満足でした。帰国後3月初旬には、ニセコスキー場で5日間滑りましたが、シャモニーと比べてなんと物足らなかったことか。

2007年のスキーでは、志賀高原でトレーニングした後、2月中旬から555スキークラブの仲間8人とスイスのツェルマットで1週間滑ってきました。毎日晴天に恵まれ、マッターホルンを眺めながらのゴルナーグラードやスネガスキー場、特に標高3,889mのクライン・マッターホルンからの滑降は最高でした。 登山では7月に独りで利尻山に登った後に、流山稲門会の11名を連れて白馬岳、8月に巻機山、9月に八ヶ岳と男体山、10月に瑞牆山に登り、11月には12日間のヒマラヤトレッキングに出かけます。

この様に自分でも驚くほどの回復ぶりです。しかし、加齢と共に体力・気力は衰えますから、毎日の適度の運動と節制によって如何に老化を遅らせるかが、今後の課題です。>

ツェルマットのスネガスキー場にて、
マッターホルンをバックに555スキークラブのメンバー

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」で人生何が起こるか分かりませんが、自分の置かれた境遇を素直に受け入れて、常に一生懸命に生きる事が大切だと思っております。又、万一登山やスキーが駄目でも、やりたい事は沢山あります。

ハンデを負う身体になって、サムエル・ウルマンの詩「青春」が、益々深く心に沁みる今日この頃です。「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。逞しい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。頭を高く上げ、希望の波を捕らえる限り、八十歳であろうと、人は青春にしてやむ。」

目標は大きく前向きに、「元気で百歳まで」です。

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