同期会便り

昭和32年卒業(1957;新制第7回)同期会報告

平成26年5月16日(金曜日)正午から日比谷公園「松本楼」で定例同期会を開催しました。
同期会は当初は大隈会館で開催していましたが、ここ10年ほど前から斎藤君の紹介で松本楼、毎年5月第3金曜日正午からとしています。幹事2名は交替でつとめていましたがこのところ10年ちかく寺内、伊藤両君にご苦労をかけています。
 今年私どもは卒業57周年を迎え、傘寿を超し、米寿にむけて己がじし歩みはじめています。その近況報告とそろそろ幹事をきめて場所を予約し、出席を確認して会計をするという今までのやりかたでは幹事の負担も大きく、なにかいい知恵を出そうというのが今回の大きなテーマでした。

ここでメンバーに共有されている記録を整理し同期会の歩みを振り返ってみます。
@始末書昭和31年7月30日発行(卒業前年) 早大協組印刷課
ガリ版刷り  B5版  208頁185,000字   全員執筆
編集協力者多数  初版本はザラ紙のため変色しバラケてしまう
A 始末書そのU昭和53年1月20日(卒業20周年)  幹事勤務先のコピー機
コピー版刷り A4版  60頁   80%執筆
1〜28頁  往復はがき返信欄記入面をコピー
29〜60頁  菊池幹事によるテープ2時間の文章起こし労作
初版本は不良紙のため変色しバラケてしまう
B始末書還暦版平成7年1月20日 (卒業38周年) 芝サン陽印刷
投稿原稿をそのまま印刷   A4版  247頁
全員執筆    編集協力者多数
当初のころの同期会記録と写真は主に野口、岩波両君が担当しており、
そのころの名簿とか記録などを転載
還暦版印刷時に 始末書、始末書そのU のA4版復刻版を作成して同時配布
始末書、そのU、還暦版の表紙:板垣君
筆記具などの変遷:卒業時は鉛筆と万年筆、20周年時はシャープとボールペン、
還暦版時はワープロとなり、計算もヘンミ計算尺、タイガー計算機、電卓、 エクセルと変わり、これに遅れずについていくのに精いっぱい
C想い出のアルバム平成14年3月20日 (卒業45周年)
A4版  128頁  カラー印刷   ほとんど全員提供
今泉、佐々木両君に菊池君が協力    始末書の実証版の感じ 
D 卒業生名簿いつの頃からか小泉君が担当
住所、電話・FAX、メールアドレス、物故者氏名、 内容は随時更新されて配信されるシステムで貴重な情報源

今回の同期会は紅一点の猪俣正子さんをまじえて26名が参加し、応用化学会会旗を背に伊藤幹事の挨拶で開会し、寺内幹事のコメントの紹介、欠席者の近況が報告された。前記名簿の最新情報から卒業時72名、物故者20名で同期生52名のちょうど半数が出席したことになります。欠席者のほとんどが歩行に支障をきたしているということです。

菊池君の乾杯にはじまり、大越、三浦両君の進行にしたがい、恒例の全員の近況報告と今後の同期会のあり方についてのスピーチにはいりました。

近況については多かれ少なかれ脚が弱っているのが共通した悩みのようです。この点については黒帯の伊藤幹事が声を大にして「転ばぬ先の杖」を強調していたのが印象的で、現場でも高齢者の災害では転落転倒がもっとも多いといわれています。
また、訃報が届いた伊地知、原田(英)両君の最近の様子が牧野君から報告されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

今後の進め方についてはいろいろな意見が出ましたが20名あまりの会合を手軽にセットするとなるとなかなか簡単ではないようです。結論として同期会の会合はなんとか続けたいというのが大方の希望で、これからお互いに知恵を出し合ってみようと言うことになりました。

なお、早稲田応用化学会報 第89号 2014年 4月発行 49頁  に同期会開催支援の案内が掲載されているので参考になると思います。

予定を半時間ほど超過し、再会を約して散会しました。

(文責;三宅正志、写真;新井敏弘)