日時 :2008年7月12日(土)15:00〜16:30引き続き懇親会
場所 :55号館大会議室
講師 :小宮強介氏
1976年応化卒(篠原研)、1978年修士課程卒、
同年旭化成鞄社
現在、旭化成ケミカルズ且謦役常務執行役員、
水処理事業部長
演題 :『21世紀を担う次世代リーダーたちよ 龍となって、玉を吐け』
―非ホスゲン法ポリカーボネート製造プロセスの研究開発と台南での事業化
その体験で得られた仕事魂、「70点主義」と「セレンディピティ」について―
2008年7月12日(土)に、早稲田大学大久保キャンパス55号館大会議室で行った講演の概要を記します。
「人間ぬくぬくしはじめるとろくな仕事はせぬ、追い詰められると龍が玉を吐くようにいのちを吐く」。 私の仕事が頑張り時を迎えた時、旭化成ケミカルズの藤原社長が、自ら書いた書のコピーを『おい、小宮、これやるよ』と言って手渡してくれました。当時の私の状況とあまりにもぴったりだったので、大変感謝し、感激したことが忘れられません。
後で調べてみると、これは、紀野さんという高名な仏教学者の言葉でした。本日は、多少無謀かもしれませんが、いかにして「龍となって玉を吐く」のか、というテーマでお話したいと思います。
「玉を吐く快感」を本当に実感したのは、台南でポリカーボネートの試運転が成功した時、2002年4月12日の事です。14年間の開発・工業化の末、押出機から、最初の製品が出てきたのです。私の年長の同僚は、『俺はもう死んでもよい!』と叫びました。私も『旭化成は良くこの仕事をやらせてくれた。今後、会社にはもう何も望まない!』と感謝の気持ちでいっぱいでした。
しかし、『またぞろ、もう一つ玉を吐きたいな〜』と最近誘惑にかられています。それは、今世紀人類最大の課題、「水」です。新しい水ビジネスを立ち上げ、世の中に貢献したいと思っています。
ポリカーボネートの工業化でパートナーとなった奇美実業でのカルチャーショックをお話します。 奇美実業の総帥 許文龍氏は、北の王永慶、南の許文龍と並び称される台湾を代表する実業家の一人です。ところが、50歳を過ぎた頃から、出社するのは週に2回、それも会議に出るだけ、職業はと聞かれると「漁人」と答え、釣に明け暮れています。芸術への造詣も深く、絵画や楽器の蒐集家で奇美博物館を建てたり、自宅で音楽会を開いたり、自らもマンドリンを演奏されます。台南滞在中はしばしば親しく許文龍邸を訪れ、氏の経営観や芸術論・歴史観に触れることができました。
奇美の人たちは、配管のチェックや計装図面のチェックなど、当然チェック済みのはずが、やってみると間違いだらけ、それを指摘すると不思議そうな顔で、『なぜそんなに完璧を目指すのか?』 『やってだめなら、すぐやり直せばよいのではないか』といいます。旭化成の完璧主義と奇美の80点主義です。しかし、やってみるとしばしば奇美流の方が早いことに気がつきました。
また、奇美実業では上場企業でないこともありますが、予算を作りません。営業が年間販売計画を立てる、製造がそれに基づき年間生産計画を立てる、それが全てです。年間利益計画はありません、利益は外部環境で変動するし、それに対応しベストを尽くせば、利益はついてくると考えているのです。日本の会社では、予算の作成に1年のほぼ4分の1を費やし、その達成にも本当に苦労しています(笑)。
そもそも、許文龍氏がポリカーボネートの事業化を意思決定したのも、同社はABS樹脂100万トンの世界トップメーカー、市場は難燃ABSを求めているが、怪しげな難燃剤をたくさん混ぜるのはナンセンス、ABSを難燃化するにはポカーボネートとのアロイがベスト、ABS100万トン難燃化するにはポリカーボネート20万トン必要、ポリカーボネートをぜひ事業化するべし、という極めて単純明快な理由だったそうです。
我々世代は、PLAN→DO→SEEのサイクルを廻すという仕事流儀でやってますが、
・ 完璧主義は必ずしも正しくない ・計画に時間を費やすのも時間の無駄
では、PLANにどの程度の力を費やせばよいか?たどりついた結論が、「70点主義」です。
その根拠は、
成功確率 | 失敗確率 | |
1回目 | 70% | 30% |
2回目 | 91% | 9%(0.3x0.3) |
3回目 | 97% | 3%(0.3x0.3x0.3) |
91%の計画は70%の計画の2倍以上の負荷、97%成功の計画は至難のわざ、70点主義でも運が良ければ3連勝できる。
ポリカーボネート樹脂(PC)は、現在、世界で約300万トン/年という需要を誇り、しかも、今なお高い成長率をもつエンジニアリングプラスチックのキングです。透明性、耐衝撃性、耐熱性、難燃性などに優れ、CD・DVDから自動車部品、電気製品のケース、高速道路の遮音板、銀行の防犯パネルなど我々の生活をより快適に、より便利に、より安全にするために使用されています。
現在、大部分のPCは、ホスゲン法と呼ばれる方法でつくられています。一酸化炭素と塩素ガスから得られるホスゲンとビスフェノールAに苛性ソーダと触媒を加え、塩化メチレン溶媒中で界面重縮合によりつくられています。しかし、ホスゲンは第一次世界大戦で、毒ガスとして使われた猛毒物であり、塩化メチレンは発がん性を疑われているもので、しかも水に溶けやすく、低沸点物です。安全性を維持し環境汚染を防止するためには様々な付帯投資が必要です。
一方、非ホスゲン法と呼ばれる方法は、フェノールと一酸化炭素からえられるジフェニルカーボネート(DPC)とビスフェノールAとでエステル交換し、溶融重合でつくられます。DPCはフェノールとして回収されます。しかし、この反応は分子量を増大させるためには、高温かつ高粘度に耐える攪拌が必要となり品質の良いものやグレードの多様性は得られないという欠点をもっていました。
旭化成の非ホスゲン法PCは基本的にはDPCを使うエステル交換法ですが、3段階のエステル交換を経て、投入原料は炭酸ガスとエチレンオキサイドとビスフェノールAのみ、産出物は製品PCと副産物のエチレングリコールのみで、重合の完結は無攪拌で重力利用法に拠っています(図1参照)。従来の非ホスゲン法の欠点を解決し、真に環境にやさしく、かつ、投資金額も少なく、原料費も安い、経済的なプロセスです。
旭化成では、この優れたPCプロセスを自ら事業化するのではなく、プロセス技術を世界中に売っていくというビジネスモデルを採用しました。すでに、台南の奇美化成(合弁会社)に2基、ロシアに1基、韓国2社に夫々1基計2基、サウジアラビアに1基、合計6基、生産能力で約60万トンのライセンスをしており、今後も古いホスゲン法プラントのスクラップ&ビルドや、新設プラントにと世界中のPCプラントに、デファクトスタンダードプロセスとして採用されることを狙っています。
この製造プロセスは1977年から、福岡氏(今年、紫綬褒章授章)考案のスキームで、研究開発が始められ、私は1988年から参加しました。最も苦労したのは後段の重合度を上げる工程です。この開発中に3回のSerendipityに遭遇しました。
Serendipityとは、今のスリランカ(旧セイロン)、昔セレンディップと呼ばれていた頃、そこの王子が偶然に次々と宝物を発見していくという物語が語源になっているといわれています。科学技術の研究では偶然の現象を見逃さずに発見・発明に到達した事例が数多く知られ、Serendipityと呼ばれています。その体験をお話します。
PCの溶融重合法は、重合度を上げると共に粘度上昇→攪拌をよくするために高温重合→着色など品質劣化という問題が発生するため現在では工業的には実施されていません。
我々は、予備重合後アセトンで結晶化し、多孔質で融点を持つ結晶化プレポリマーを得、このプレポリマーを固体のまま低温で重合する方法を見出し、高品質のPCをつくることに成功しました。結晶質のポリマーでは、ポリエステルやポリアミドなど工業的な実施例もありますが、PCのような非晶質ポリマーの固相重合は初めての成果です。
ある日、実験員が溶融重合を終えてフラスコのポリマーを洗浄したところ、ポリマーが白い粉になっていました。通常は洗浄溶媒に塩化メチレンを使っているのですが、間違ってアセトンを使用してしまったのです。彼の上司に報告すると、『続けて重合してみろ』との指示です。やってみると意外にも分子量が上がり、固相重合の発見につながりました。しかし、固相重合法は、プロセスが複雑になるという理由で、結局工業化できず、研究も「ペンディング」(旭化成では通常終了と同義)になりました。実は3名の研究員を残し、研究を続けさせてもらいましたが・・
この研究中に、溶融ポリマーを穴からフリーに落下させながら重合させる方法をやってみたところ、製品レベルまで分子量が上がる現象を発見(勘違いのSerendipity!)しました。当時の弓倉社長に報告したところ大変喜んでいただき、研究再開、パイロットプラントの建設という運びとなりました。しかし、密やかな心配がありました。
『フリーに落下させるだけで本当に重合するのか?』、『壁に伝わって落ちながら重合していたのでは?』。大きな重合器に穴一つで確認実験をしてみました。ほとんど重合していません。やはり、以前の実験は壁に沿って落下していたのだ!しかし、壁に沿って落下するにしても、製品レベルまで重合したのは事実だ、意図的に壁を作ってやればよいだけだ! 穴の下に針金を取り付け、ポリマーが針金に沿って落下しながら重合する方式に変更し、パイロットは完成し、一応順調に運転しました。(図2参照)
パイロットは一応順調、だが、生産性はもう一歩、重合器内部をのぞき窓で見ながら、悶々とする日々が過ぎていきます。重合器の7本ある針金を落下するポリマーが3本ほどしか発泡しないのです。これでは重合器をたくさん並べなければならない。
ところがある日、突然7本とも勢いよく発泡し始めました。『分子量を測ってみろ』 『ものすごく重合度が上がっています』 『リアクター上部の圧力計ノズルが緩み、空気がリークしています』。この時、不活性ガスの効果を直感しました。そして、不活性ガスを活用した重力利用無攪拌重合法が完成したわけです。
旭化成は、中空糸分離膜・リチウムイオン電池分離膜・電解用イオン交換膜・人工透析膜・ウィルス除去フィルター膜と5つの膜事業を展開し、いずれも世界で1位か2位のシェアを占めています。私が目下担当しているのは、中空糸分離膜とそれを使った水処理事業部です。
何故、膜による水処理なのでしょう?「水処理」とは、水から不要な物質を除去することです。「膜による水処理」は、膜に開けられた穴より小さなものは通さず、従来から行われていた「砂ろ過方式」にくらべ、確実な分離が可能で、安全かつ安心な水処理ができます。また、ウィルスや原虫の除去もできる、原水の状況に応じた凝集剤の添加調整も不要で、凝集剤由来の汚泥の発生もない、さらに設置面積を半分以下に抑えることができます。
現在、超純水・自動車電着塗料回収・医薬・醗酵・食品など産業用分野で高いシェアを持っており、需要増大が予想されている公共上下水道や工業廃水分野にも力を入れています。
ある調査資料によると、2025年の水市場の予測では、膜モジュールや薬品といった機器・素材は約1兆円、その機器・素材を使って建設されるプラント建設市場は約10兆円、さらに水プラントを管理・運用する水事業は100兆円と推定しています。 我々は、単なる素材提供にとどまらず、より付加価値のあるビジネスモデルに挑戦したいと考えています。「水フロンティア事業」と名づけ、目下、新しい試みを始めています。今年、中国蘇州のソニーケミカルの工場で、廃水の完全リサイクルを請負い、膜モジュールの供給にとどまらずプラントの運営まで一貫して引き受けるという事業をスタートさせました。
良質な水は地球上に不足し、その解決は21世紀人類の最大の課題となっています。十分に「龍が玉を吐く」に価するテーマだと考えている次第です。
以上、私の仕事上の体験をお話しました。若い後輩の皆様、そして特に学生諸君にお役に立てば幸いです。
懇親会:懇親会は水瀬交流委員の司会で、木野教授の挨拶に始まり、平林副会長から2008年度応化会奨学生村田篤君の紹介および乾杯の音頭で開会した。賑やかな談笑の輪がいくつもできて懇親を深め、講演者小宮氏の会社(旭化成)の大先輩である工藤飛車さんのスピーチ、学部3年女子学生トリオ:息えりかさん、今野千聖さん、浅野夏美さんの飛び入りのスピーチもあり、大変盛り上がった。講師小宮氏と同期生である平沢教授の締めの挨拶、そして学部2年田中芳貴君の音頭で校歌斉唱をしてお開きとなった。