フォーラム「企業が求める人材像」(2009)の開催報告
フォーラム 「企業が求める人材像」
2009年10月3日(土) 13:00−15:40
主催:早稲田応用化学会・交流委員会
10月3日(土曜日)、学生支援プログラム、フォーラム「企業が求める人材像」を催しました。早稲田応化会河村会長の挨拶で始まり、フォーラムは2時間半(途中で10分の休憩を挟む)にわたり、参加学生は少数(69名)でしたが、熱心に清聴され、その後は56号館理工カフェテリアで懇親会を開き、パネリストを囲んで談笑し、盛会裏に終えました。ここにその概要を報告します。
<企画の経緯>
過去2006年及び2007年に開催された「就職談話室」フォーラムは、差し迫った就職活動に備えて、学生が心しておくべきことあるいは準備しておくべきことについて、先輩諸氏からアドバイスあるいは励ましをいただく場として、その役割は果たされ、好評を博しました。ところが一方、その後に企画された「先輩からのメッセージ」(2009年1月開催)では当会ホームページ「企業ガイダンス」掲載企業に在籍する先輩たちにお願いして、業務及びキャリアデべロップメントをショートトークしていただくものでありましたが、多くの若い先輩たちの話しを聞くことができたことから、「就職談話室フォーラム」の内容を見直し、学生生活をロングランにとらえて、将来において、社会に貢献しえる企業人とはなにか、そしてそのためには学生生活・研究生活はどうあるべきかに焦点を当てたプログラムがあっても良いのではないかとの結論となり、「フォーラム・企業が求める人材像」を計画し、実行に漕ぎつけました。
<河村会長の挨拶>
ご多忙な中、雨が降りそうな天気の中、来ていただいたパネリストに感謝します。本日は先輩パネリストが熱い想いで若い世代に伝えるべきことを伝える価値の高いフォーラムであると考えています。学生諸君は来るのは当たり前、これでも少ないと思う。先輩のメッセージをしっかりと聞いて頂きたい。
<パネリスト>
パネリストには「企業の求める人材像」について造詣が深く、見識の広い人事部門在籍者あるいは経歴者平林氏、福富氏、松田氏、女性卒業生を代表して家庭・育児と仕事を両立しながらご活躍中の女性研究者中嶋(旧姓東野)氏、佐藤(旧姓関根)氏及び企業トップとして経営を統治されてきた中嶋氏、以上6名の方々にお願いしました。教室側を代表して菅原教授に参加していただき、パネルデイスカッションのコラボレーターをつとめていただきました。
パネリストプロフィール(学部卒業年次順)
- 平林浩介氏
昭和35年応化卒(石川研)、大日本印刷鞄社、研究開発部門・生産部門を経て、人事部長・エレクトロニクス事業部門管掌(常務取締役)歴任。現在:早稲田応化会副会長、出光興産の技術部門シニアアドバイザー。
- 中嶋宏元氏
昭和37年応化卒(吉田研)、旭電化工業梶i現ADEKA)入社、研究開発部門・本社企画部門を経て、社長・会長を歴任。現在:鰍`DEKA相談役。
- 福富崇之氏
昭和58年応化卒、横浜ゴム鞄社、タイヤ部門研究開発、人事部門技術系担当を経て、現在 工業品開発部長(非タイヤ系全て)。
- 松田直人氏
昭和62年応化卒(清水研)、富士フィルム鞄社、有機合成開発・カラーフィルム(リバーサル)開発を経て、現在人事課長(技術人材採用)。
- 中嶋(旧姓東野)泰子氏
平成元年応化卒(長谷川研)、三菱化学(株)入社、石油化学触媒開発、有機合成プロセス開発を経て、現在三菱化学渇ネ学技術研究センター副主任研究員。2子の母。育休を2回取得。
- 佐藤(旧姓関根)知子氏
平成5年応化卒(土田・西出研)、(株)資生堂入社、角質層の細胞間脂質の物理化学的研究、コロイド界面化学、化粧品基剤研究を経験。現在、且草カ堂リサーチセンター研究員(スキンケア開発部門)。2子の母。育休を2回取得。
- コラボレーター 菅原義之教授
昭和58年応化卒(加藤・黒田研)、MIT大学博士研究員、早稲田大学応用化学科助教授、フランスモンベリエ大学訪問研究員を経て、現在応用化学科教授。
<パネルデイスカッション>
パネルデイスカッションはパネリストの「自己紹介」の後、「会社での失敗談や戸惑い・悩み」「ターニングポイント」「女性として結婚・出産・育児をどう乗り切っているか」を皮切りにして、「会社はどんな人材を求めているか」、「大学在学中に何を学び、何を心がけていけばよいか」について、デイスカッションしていただきました。次に、一部割愛しましたが、概要を紹介します。
- 入社後の失敗談や戸惑ったことは
- 最近の新入社員は、みんな同じ服装で入社式に臨んでいる。不思議だ!自己責任でもっと自由にすれば良いのでは
- 戸惑ったのは入社直後に築30年の独身寮で、生まれて初めて蚤に食われたことかな(笑)
- 入社時、わからないことは周囲に聞きまくっていたが、ある時先輩から勉強してから聞くようにと言われた。
- 若いということは良いといつも入社式で話した。若いという魅力は失敗しても取り返せるということだ。最大限の努力は必要だが、失敗の経験を次のチャレンジの糧にできる。50歳になると失敗は出来なくなる。
- 人事部長になったとき、自分の人事記録を見た。失敗は赤字で記載されているが、赤字だらけであった。若いときは失敗をすべきだ。仕事をしなければ失敗はしない。難しいことにもチャレンジすべき。失敗を恐れて仕事をしないことが一番の問題だ。
- 始末書は若いときに2通書いた。合計では8通になる。
- 上司のフォローがいつもあったように思う。触媒開発の仕事でステンレス反応器での検討。高圧反応でもあり、ヘルメットに安全靴、会社では安全設備は整っている。安全に関わる失敗や事故は会社の命取りになりかねないので、事務机を離れる時は、安全メガネをかける習慣となった。
- 入社当時のコーポレートスローガン、「ヒトを彩るサイエンス」に惹かれて入社した。現在の専門である界面科学とそれに必要な物理化学は会社に入ってから勉強した。。
- 会社でのターニングポイントは
- 会社人生では新しい環境・立場になった時がターニングポイントだったと思う。そんな時、柔軟性がないと、乗り切れない。変化に対応することが必要。入社10年で研究から本社企画部門に異動したが、上司がかなりの仕事を任せてくれた。新しい事業を創るための技術導入、ライセンス交渉も肩書きなしでやった。勝手にやるということは責任が伴うことを身を持って知った。仕事を任されるのも大変であるが、任せられると人は育つ。
- 入社当時は有機合成の基礎部門で仕事をしていた。基礎部門は言わば米を作って、代官である商品開発の研究者に渡すという図式である。取立て側(商品開発部門)に行きたいと考えて希望を出した。異動するとまったく文化が異なった。基礎部門では自分の手が動く範囲(合成)での仕事である。一方商品回りに異動すると、自分の手が届かないところで何かあるのか、リスク管理上、どんな問題が起こるか等の想像力が重要となる。
- やはり出産がターニングポイントであった。10ヶ月、1年半と育児休暇を取った。会社で仕事は機会均等であるが、産休・育休を取得するのはまず女性。長期的な人生設計を考えて出産の時期を考えたほうがよい。また親のサポートは不可欠である。平日は仕事・家事・育児をこなさなければならず時間が非常に限られているので、「資料作成にかける時間はO時間、家では子供が起きている間は仕事はしない」など、自分なりのルールを決めて、優先順位を常に考えながら動いている。働いていると子供がかわいそうと思うことがあるかもしれないが、働いていて母がハッピーならそれでいいと思う。親が幸せであることが子供も幸せにする第一条件である。
- いつやめようかと思いながら続けるだけで精一杯であった。1子を授かり、2子を授かった育 休明け、半年ぐらいで夫(同じ事業所)が転勤となったが、子供はまだ手を離すこともできず実家に世話になることになるが、仕事の種類も考えて別居を選択した。これは会社人としてのターニングポイントと今考えている。会社におけるターニングポイントは、2子を授かった後、これからの会社生活をどうするか考えた。当時は薬の中間体を有機合成する仕事言わばお客様の為のをしていたが、石油化学言わば自分の会社のための仕事をやりたいと考え、異動希望を出した。キャリアを積んでいくとスタッフとしてのマネージメントの仕事となることも大多数かもしれないが、ものつくりに拘り、技術職としてのマネージメントでキャリアを積みたいと考えている。
- 仕事を辞めていたらどうなるかとも考えてみた。回りの友達はお母さんが家にいる場合も多く、小さいとき子供からは会社を辞めてといわれた。でも大きくなるとお母さん会社を辞めないでと言ってくれるようになった。
- 企業の求める人材像とは
- 積極性、主体性、熱意をもっているヒト。会社とは社員それぞれの強みを最大限に活かして戦力を最大にすることが重要である。自分の強み・特徴は何かを考え、その人なりの存在感を示してほしい。
- 可もなく、不可もなしではダメである。これは失敗を恐れるなと同じである。平々凡々ではダメである。パーソナリティや資質は職種、ポジションによって異なる。責任がだんだん重くなると決断力が求められることになる。欠点もいろいろと指摘されると思うが修正すればよいだけで、特に若いうちは気にしないほうが良い。
- たくましい技術者になることである。キーパーソンから○○君なんとかならないかと頼られる技術者である。○○に言えば問題を解決してくれる。受け入れてくれ、逃げない。実力もある。これがたくましい技術者であり、めざすべき人材像と考える。
- 私は、どういう人と仕事をしたいかという観点で述べてみたい。コミュニケーションがしっかりと取れる人、熱意を回りに伝えられる人、エネルギーがあり、フットワークが良い人、考えて行動できる人、細かなことに気がつく感性を持っている人がそうである。
- なんでも興味を持つこと、周囲を明るくできること、対人関係をうまくできることがそうであると考える。目標に向かって進むことは必要だが、そのために周囲を不快にさせるようでは会社全体としてはマイナスだと思う。
- 学生時代、研究生時代に努力すべきことは何か
- 研究生時代は研究に没頭すること、実験が好きになることがまず大事である。いろいろな集団での対人関係を学ぶことも重要である。行動して、チャレンジすべきことをし、失敗する。このサイクルを何サイクルまわせるかが大切である。
- 研究生時代は自分のやっているテーマに関して魅力を感じているかが重要である。自分で価値判断をして発信することをすべきである。
- 学部1〜3年生時代は、体力(を鍛えること)は必要。好き嫌いしないで基礎学力をつけることは重要である。得意科目を持つことも重要である。
- 学部1〜3年生時代は、英語は大変重要であることを経験から述べておく。エレクトロニクス関係の責任者であったとき、外国企業と契約等いろいろな議論をする必要となった。40歳後半で必要となった。これからの時代、スキルとしての英会話は重要であることを認識してほしい。
- 営業等ではアピール力、商品発表研究発表ではスピーチが必要となる。学部1〜3年生時代にいろいろと経験しておくことは必要である。
- コミュニケーションに関しては、技術者としての挨拶や、報告の仕方などに必要となる。
- 就職活動に関して
- 企業ではいろいろな才能を持った人がいることが望ましいとの視点から求人活動をしている。モノになりそうな感じを抱かせる人、あまり標準的でなくこういう特徴があるという人がほしい。
- 企業の採用時では募集人数がすごい。例えば某社では1万人以上の学生がエントリーする。手分けして対応する。スクリーニング後、つっこんだ質問をする。マニュアルどおりに答える人はダメである。答えが同じですぐ分かる。アピールしたいことを主張できる人がほしい。如何に自分を売り込めるかである。
- 「就活って何だ」(文春新書、森健著)は大変参考になる。一読をお勧めする。
- 就職活動時ではどんな準備が必要か:採用試験は試験ではない。お見合いと考えてほしい。自分でなんであるかが問われる。企業研究は早くしておく必要がある。その企業があっているかあっていないか。このようなサラリーマンになりたいをイメージし、その企業と自分との相性を見極める必要がある。私は、来た人がどの部署に入れるかやこの会社の作業着が似合うかどうかをまず考える。TOICの点数ではない。また論理的な文章が書けるかどうかも重要である。
- 就職活動時ではどんな準備が必要か:厳しい言い方であるが、今からの就職活動をと考えるのは時間の無駄と考えてほしい。我々は本質を見抜こうとする。今までの20数年間の結果がどうですかということである。マニュアルではコモディティ化し、差別化できない。かといって自分の特徴を今から創ることはできない。その瞬間を濃く生きることが必要である。能動的に遊ぶことも重要である。
- 最後に学生生活、入社後のアドバイスを
- 学生生活は就職のためではない。就職では自分の能力を評価してくれるところに行けばよい。基礎的能力を身に着けること、自分の興味のある分野を深く勉強すること、文化や教養をつけ人間としての魅力を磨くこと、小説、本をよく読むこと。
- 日本的なあいまいさ、なぁなぁはなくなる。ISOしかり、アメリカ的に効率を求めることとなる。これからやる実験も思い出にのこるようにすべきである。
- 基礎力は大変重要である。恩師の清水先生から「アルドール反応がわからないのにパラジウム触媒を使っている場合でない」と学生時代に聞いたが、基礎の大事さを思い知らされ、目が覚めた思いであった。
- 守備範囲を狭くしないことだ。できるときに対象を広くもつことが重要である。
- やるだけやったら、気持ちを切り替えることが重要。ケセラセラも必要である。
- 基本的な学力は必要である。早稲田卒は基本的な学力はあるとの前提で見られている。T型人間という言葉も良く使われる。深さ(専門性)と幅(一般性)が必要である。いい友達とアグレッシブに遊ぶことも重要。
- 最近は精神的に参る人(精神的な病)が多い。気分転換できる趣味も必要である。やるだけやったなら後は天に任せる、ずうずうしさ、くよくよ悩まないことも大切である。馬が合わない上司でも会社では2,3年したら上司は変わる。2,3年の我慢だけである。
<総括>
学生参加者の状況について、女性の参加者は凡そ20%、他科・他専攻の学生は凡そ20%、学部生は凡そ1/3、その中で2年生がもっとも多く、大学院生は凡そ2/3、博士課程院生の参加もあったが、やはり修士1年生が全体の凡そ半数を占めた。学年層は多岐に亘り、当初企画した趣意は伝わったものと理解します。
参加した学生のアンケートを拝借すると、フォーラムの内容にはかなり満足していただける回答をいただきました。フォーラム後半のテーマについてはもう少し突っ込んだ話をしていただきたいとの要望がかなりありました。パネリストについては、特に現役陣の迫力ある話、女性パネリストのリアリテイに富む話はかなりのインパクトがありました。次回以降には工場関係者、海外勤務経験者も入れて欲しいとの声が20〜30%ほどありました。
なお、主催者側が期待したほど、参加者が集まらなかったのは、周知開始時期が遅れたこと、案内のキャッチフレーズに工夫がたらず不十分な案内となったことなどが原因となり、意図が十分伝わらなかったことを反省しています。
ご尽力いただいたパネリストの皆様方にはあらためて厚く御礼を申し上げます。
以上
(文責:交流委員会 岩井義昌、河野善行)