菊地英一先生は、本年1月にめでたく古希を迎えられ、3月末日をもって早稲田大学を退職されました。ご退職に伴う記念行事の一つとして、去る1月21日土曜日に最終講義、および懇親会が開催されました。
菊地先生は、早稲田大学高等学院に入学後50年余りを過ごしてこられました。また、1969年に早稲田大学理工学部応用化学科の助手として嘱任されて以来、43年の長きにわたって早稲田大学の教員として研究・教育に打ち込んでこられました。その間、常に第一線の研究者として燃料化学、触媒化学の発展に力を尽くされるとともに、800名を超える多くの卒業生を社会に送り出して来られました。
1月21日の最終講義「早稲田とともに半世紀―燃料化学から触媒化学へ」は、西早稲田キャンパス(旧称:大久保キャンパス)の中でも最も新しい建物である63号館の201教室で開催されました。
最終講義のご案内は、卒業生を中心にご案内し、出席を呼びかけました。ご出欠をうかがうことはしませんでしたが、当日は300人の大教室がほぼ満席となる出席者を得ることができました。まさに最終講義にふさわしく、研究室の現役の学生から大先輩まで非常に幅広い年齢層の聴衆が一同に集った大変に活気のある場となりました。
最終講義に先だって、菅原義之応用化学科主任教授から、菊地先生が応用化学科の発展に力を尽くされてきたことに対する感謝の意が述べられました。 講義の冒頭では、応用化学科の創始者である小林久平先生からはじまり、山本研一先生、森田義郎先生と続く燃料化学研究室が、当該分野の創成と発展に力を尽くしてこられた歴史的経緯が紹介されました。その中で早稲田の応用化学における研究は伝統的に実学に根差したものであること、また諸先生方の御研究が、常に世界的に最先端のものであったことをご紹介いただきました。
いよいよ菊地先生ご自身の御研究に内容は移ります。学生時代に高圧のマイクロリアクターを苦労されながら製作されたことからはじまり、膜反応器の研究では、当時の学生とともに多くの企業、大学の研究室と連携しながら金属Pd薄膜を多孔質セラミックス表面に無電解メッキする手法を開発されたことなどを、楽しいエピソードなども交えて話されました。続いて、環境規制強化の流れに沿って、窒素酸化物の除去触媒など環境触媒分野にも研究を展開されたことなどを例示されつつ、「燃料化学研究室」から「触媒化学研究室」へと看板を掛け替えた経緯についてお話しされました。まさに、研究の将来の方向性を見据え、見識を示された出来事であったと思います。講義の最後には、2000年代に入ってからも新しい研究に意欲的に取り組まれ、酸化物の格子酸素を利用した触媒反応に注力されてきたことが紹介されました。
これらの研究に携わった学生も数多く紹介されました。卒業生は、懐かしく思い出すとともに、先生のご指導のもと、学生時代に最先端の研究活動に携わることができたことを改めて誇り高く感じたことと思います。
最終講義に引き続いて、懇親会も開催されました。先生を囲んで次々と謝恩の輪が作られ、大変に温かく、 また活気のある会となりました。
厳しくも温かい先生のお人柄を表す光景であったと思います。先生の研究・教育両面での偉大さに改めて感銘を受けた次第です。 最終講義と懇親会にご出席いただきました皆様方のご協力とお力添えに、心より深く感謝申し上げます。