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宮崎研究室の同門会が、5月25日、宮崎先生の奥様(蕗苳様)、ご令息(黃石様)のご出席を得て、東京・目白の日立目白クラブで開かれた。出席したOBは16人。2年ぶりの同門会とあって旧交を温めあい、和やかな歓談のうちに散会した。
会場の日立目白クラブの前身は、旧学習院高等科寄宿舎(昭和寮)。アール・デコ様式の重量感と気品あふれる雰囲気はさすが。昭和寮の寮生には名門名家の子弟が多く、皇族のほか、岩倉、松平、伊達、島津などの名もあった。また、今上陛下も住まわれたという。1941年に閉鎖され、その後、52年に日立が譲り受け福利厚生施設として利用している。
午後5時開会の予定だったが、早々と到着して控え室で囲碁に興じたり、旧交を温めたりと開会からかなりの盛り上がり。定刻の午後5時に開会、大林秀仁先輩(67年卒)の開会の言葉を受け、奥様、黃石様のご挨拶を受け、井上征四郎先輩(62年卒)の乾杯の音頭で始まった。
歓談では出席者の近況報告に加え、NHKの朝の連続ドラマが話題となった。このドラマでは、『赤毛のアン』の翻訳者、村岡花子が主人公だが、もう1人、陰の主役となっている葉山蓮子と称する女性は柳原白蓮がモデルで、白蓮は奥様のご母堂。奥様の手記をもとにした『白蓮 娘が語る母 燁子』(宮嶋玲子著/旧「伊藤伝右衛門」邸の保存を願う会発行)に詳しい。(幹事宛に連絡いただければ残部が少しあります)。
また、応化OBとしては小保方問題で活溌な意見交換があり、今後の行方を含め母校への気遣いなど多様な話題で賑わった。
午後7時過ぎ、名残惜しくはあったが、増子豊忠先輩(62年卒)の締めで閉会した。
最後に、幹事として会場の手配、会計面での雑務、後処理などを担当していただいた芥川立夫さん(72年卒)、同門会の案内状発送をお願いした応化会事務局の皆さんに御礼申し上げます